年末年始が近づき、2025年も箱根駅伝の季節になってきました!
2024年の大学駅伝では、創価大の吉田響選手(3年)が話題になっていましたね!!!
読み方は【よしだ ひびき】です。
2025年でも初の総合優勝にむけ「自分が5区の山の神になる」と言っているほど気合いが入っている選手です。
実はこの吉田選手は、あの駒澤大学の大八木総監督も注目してるんだそうで、実は創価大の選手として、走るのは2023年度が初めてだったのです。
なぜかというと…2023年4月に東海大学の陸上部を退部して編入してきたのです。
東海大学といえば、同じく箱根駅伝常連校です。
そんな学校から吉田選手レベルの主力選手の途中移籍は、前代未聞の大事件でした!!
一体なぜ、東海大を辞めて創価大に編入したのでしょうか?
東海大の退部理由2つについて紹介します。
吉田響選手の東海大学時での経歴
まずは吉田選手が東海大学でどんな選手だったのか?
主流の選手といってもピンと来ない方もいると思いますので、東海大での経歴を見てみます。
- 2021年4月東海大学入学
陸上部に入部
1年生にして第98回箱根駅伝5区で7人をゴボウ抜きし、区間2位という鮮烈なデビュー
『山の神』候補として世間から大注目されます。
- 2022年10月箱根駅伝予選会にメンバーとして参加
箱根予選会では チームトップの走りで東海大の予選通過に貢献
しかし、本人の満足のいく結果は出せなかったようです。
- 2023年1月箱根駅伝 不参加
箱根予選会に参加していたにもかかわらず、2ヶ月半後の箱根本選の登録メンバー16人に吉田選手の名前はありませんでした。
予選会でも本来の実力を出し切れていなかったことから、体調面の問題があったのかもしれません。
実力があるだけに、相当悔しかったと思います。
- 2月退部
創価大陸上部の瀬上監督にスカウトされ、編入試験を受験後、見事合格
- 4月創価大学に3年生で編入
吉田選手の夢は大学1年生の頃から『箱根駅伝で山の神になる』ことであり、そのために相当な努力をしていました。
1年生で箱根デビューを果たし、夢は現実になりそうな予感がしますね!
とはいえ、第99回の箱根駅伝の翌月には、陸上部を退部しています。
そして編入。今の創価不大学は、監督の誘いがあって編入試験を受けたそうです。
創価大学の陸上部監督も御殿場市出身で、郷里が同じという縁もあって創価大学にお誘いしたんだとか…
では、どんな理由があったのでしょうか。
吉田響選手の編入理由2つ
次に気になる理由についてみていきます。
吉田選手の1つ目の理由は『チームとの考えの不一致』
東海大陸上部を辞めたきっかけは、チームメイトとの考え方の不一致だったようです。
これはご自身の公式X(旧Twitter)で、【ご報告】と退部、退学について書いてあります。
昨年秋からチームと
私の間で競技への考え方が一致しない部分も
あり何度も両角先生やチームメイトと
話し合いを重ねてきました。
東海大では他にも徳丸寛太選手も退部しており、内部分裂があったのでは?とも言われています。
駅伝はチーム戦なので、仲間同士で考え方が違っていたら厳しいですよね。
吉田選手の2つ目の理由は『健康面と精神面』
2つ目は健康面と精神面です。
チーム内の不破もあってか、その後、精神、体調の面で異常が出てきたそうです。
こちらも公式Xでご自身がこう公言しています。
ある時期を堺に
健康面そして精神面が安定しなくなり、
退部、退学をせざるを得ない
状況になってしまいました。
ふとした瞬間に悲しくなったり
理由もなく涙が出たり
イライラしたり
寝たくても寝れないことや
ご飯が食べられなくなったり
当たり前にできてたことや
コントロールできてたことが
できなくなり不安な日々を
過ごしていました。
よほど悩んだり思い詰めていたのだと思います。
精神的に苦しいと、物理的に実力も発揮できなくなり、それが余計に自分を苦しめる、という負のループにはまってしまいます。
1年生の時の箱根駅伝で大活躍し、2年生の箱根駅伝予選でもチームに貢献していたのに、本選の出場メンバーに選ばれなかったのは、こうした事情があったのかもしれません。
環境を変えるというのは、とても大きな決断だと思います。
自分で自分の道を閉ざすまいと切り開いた吉田選手
若くして勇気ある決断と行動力に尊敬します。
吉田響選手の創価大に転校してからの変化
2023年4月に創価大学に転入してからの吉田響選手はどうなったのでしょうか。
吉田選手本人や周りの反応
創価大の新しい環境や仲間にもすぐに馴染めたようで、創価大に転校した後、吉田選手はこう語っています。
心機一転、やる気に満ち溢れているのが、一目でわかります。
創価大学陸上部の築舘陽介コーチは、創価大学の陸上メンバーたちは、すぐに率先して吉田選手を受け入れ、仲間に迎え入れたと公言していました。
お互いに価値観の違いを受け入れる、素晴らしいですね。
温かいメンバーに恵まれて、吉田選手もリラックスして練習に励むことができたようです。
また、10月の出雲駅伝で創価大学が総合2位でゴールした際、チームの輪の中心に吉田選手がいました。
区間賞の走りをした吉田選手にチームメイトが駆け寄り、頭をなでたり、「すげえな!」「ありがとう!」などと声を掛け合っていました。
その様子を見ると、吉田選手がもう完全に創価大のメンバーとして認められ、頼られていることが分かりますね!
吉田選手の創価大での結果
第100回箱根駅伝では吉田響選手、創価大の主力選手として着実に結果を出してきていましたね!!
本人の希望通り、5区の山区間にエントリーされました。
創価大学は、8位で吉田選手に襷が渡り、7位でゴールしました!
【タイム】1時間12分38秒 区間9位
吉田選手本人も、『課題が見つかった』とコメントしており、2025年に期待ですね!
2024年11月14日第36回出雲駅伝に行われた出雲駅伝では、昨年に続き区間賞の走りを見せています!
【距離】5.8㎞ 【タイム】15分46秒 2区区間賞!
10位で襷を受け取った吉田選手は、9人をごぼう抜きをして首位で3区へ襷を繋げました!
2024年11月3日に行われた第56回全日本大学駅伝では、2区でチームを勢いづける走りを見せました!
【距離】11,1㎞【タイム】31分5秒 区間2位
ラストスパートで鶴川正也選手(青学大)と競り合い、惜しくもトップと1秒差の2位で3区へ襷を託しました。
創価大学は総合4位となり、全日本大学駅伝3大会連続でシード権を獲得しました!
吉田響選手はバケモノとも呼ばれる
創価大の吉田響選手の編入理由について調査してみました!
東海大のチームと考えの不一致と健康や精神的な不調が原因だったようです。
とはいえ、大きな決断をし、現在存分に存在感を放つ吉田選手。
他校にはバケモノとも呼ばれ、2025年駅伝が楽しみです!!!
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