関田誠大選手の経歴(学歴と職歴)を調査!パリ五輪で日本代表は引退!!?

バレーボール

パリ五輪で日本代表の正セッターを務めている関田誠大選手。

読み方は【せきた まさひろ】選手です。

現在はジェイテクトSTINGSに入団し、ご活躍されています。

アタッカー陣を巧みに使い、点を取る、まさしく司令塔。

私がセッターということもあり、試合中プレーのすごさに圧倒されます。

離れたところからどんなボールもトスにする精度はもちろんのこと、試合全体のゲームメイク、アタッカーの生かし方がうますぎます。

そんな関田選手の小学中学高校大学の学校名や所属チーム、結婚のことなど、人生気になったので気になったので調査してみました!

関田誠大選手の経歴

まずは小学生~大学生の学生時代の経歴を見ていきたいと思います!!

関田選手の学歴を調査!

主な学歴と受賞歴
  • 小学生

    小学1年生の時に入団し、6年生の時にはエースでキャプテン

    東京都小学生選手権で優勝

  • 中学生

    2年生ではリベロと務め、3年生では正セッターでキャプテン

    チームは全日本中学校選手権で初優勝し、優秀選手賞受賞

    また、JOCカップで東京選抜のキャプテンを務め優勝し、ベストセッター賞を受賞

  • 高校生

    1個上の学年の柳田将洋選手に誘われて入学を決意

    1年生からセッターとしてレギュラー入り

    春高バレーでは、2年生エースの柳田選手とともに東洋高校の初優勝に貢献

    個人で、インプレッシブプレイヤー賞とベストルーキー賞を受賞

    ユース日本代表にも選ばれ、アジアユース選手権に出場

    3年生の時には、キャプテンを務めるも結果を出すことができず、
    悔しい思いをしている

  • 大学生
    中央大学法学部

    大学でも1年生からセッターでレギュラー入り

    大学3年生の時に、高校での柳田選手のように素晴らしい出会いに巡り会う

    日本代表の絶対的エース、石川祐希選手が1年生として入部

バレーボールを始めたきっかけは『お姉様がバレーをしていたから』だそうです。

通っていた出身小学校は分かりませんでしたが、出身地が東京都江東区なので、そこの小学校へ通われていたと思われます。

小学生時代には『練習はとにかく厳しくて、バレーの技術はスキルアップしても、全然楽しくなかったと話しています。

小学生にして、楽しくないものを6年間も続けれる精神力こそ、現在色々な苦しい場面でも乗り越えられる最強の司令塔の一部となっていると思います。

中学校では東京都北区王子六丁目にある私立中学校・高等学校である駿台学園に入学しました。

駿台学園は男子バレー部強豪校であり、全国大会への出場、優勝実績が多い学校です。

高校では、昔から父親同士が知り合いの柳田将洋選手に誘われ、東京都千代田区神田三崎町一丁目に位置する私立の東洋高等学校に入学します。

中学、高校とめきめきとセッターの実力を上げ、着実に成長し楽しくなかったバレーが楽しい物になっていったのではないでしょうか。

そして、中央大学法学部に入学し、3年生の時に2学年下に石川祐希選手が入部し、一緒にプレーすることはセッターとして新たな引き出しを増やす分岐点になったと話しています。

「特に自分が最上級生になってから、石川がいる、ということ、
その存在がデカいからこそ、
周りをどう使うかというのをものすごく考えるようになりました。

もちろん彼(石川)にもいい時、悪い時がありますけど、
相手にとってはその存在が間違いなく脅威になる。
生かすために、どうやって攻撃を展開するか
という意識が強くなったし、
周りをどう動かして、
どう生かすかと考えて実践するのが、ものすごく楽しかったです」

中でもカギになったのがミドルからの速攻だった。
今でこそ、
セッターとして両サイドへの丁寧なトスももちろんではあるが、
いかなる時にもミドルを使えることが
関田の武器であるのは言うまでもない。

だがその種をまき、芽吹き、
花が咲き始めたのは紛れもなく、中大の頃。

「石川本人からも
『もっとクイックを使っていきましょう』
と言われていたし、
僕自身も相手のマークを見ながら
『ここを使おう』と考えるようになった。
ひとりのエースを生かすためにどう持っていくか。
トス回し、組み立てというのを
真剣に考え出したのはこの頃だし、
それは(今にもつながる)財産だったと思います」

 プロが語る4years.引用

関田選手は、中央大学時代に日本代表の絶対的エースである石川祐希選手と2年間一緒にプレーすることで、もちろん大学での全てのタイトルを総なめにしました。

そして日本一になることだけでなく、その後、自身がVリーグや日本代表の正セッターを務めるための大きな財産を手に入れたと言えるでしょう。

関田選手の職歴を調査!

所属チーム
  • 2016年

    日本代表の正セッターである深津英臣選手とプレーがしたい、抜かしたいの一心で入団を決意

    日本代表の予選メンバーに選出

  • 2018年

    深津英臣選手を抜くことが出来ず、新たな出会いを求め移籍

    移籍が吉と出て、2019年ワールドカップに日本代表として出場

    セッターとしてレギュラーを多く務める

    2021年東京オリンピックに出場し、ベスト8に貢献

  • 2021年
    ポーランド1部リーグのクプルム・ルビン

    オリンピック後、自分のさらなる成長のために8月25日に移籍

    この時にご結婚もされています

  • 2022年

    2024年、パリオリンピックに出場し、正セッターとしてベスト7に貢献

    第一子関田jr.誕生

2016年に日本代表予選メンバーに選出にされて以降、日本代表は見えていたものの、正セッターとして出場する事は、関田選手と言えども高い壁だったことがわかります。

おそらくですが、ご自身のプレーに自身と先々が見えたタイミングでの結婚だったと思います。

奥さんやお子さんに関してはこちらの記事をお読みください!

関田誠大選手は日本代表を引退

関田選手は、2024年8月6日の男子バレーボール日本代表の準々決勝敗退後のインタビューで「次のオリンピックは考えていないですと話しています。

現役は継続だと思いますが、ご結婚もされ、お子さんも誕生したことが大きいと思います。

関田誠大選手のwikiプロフィ-ル

最後に、関田選手のプロフィールを載せておこうと思います!

・本名:関田 誠大(せきた まさひろ)

・生年月日:1993年11月20日

・出身地:東京都江東区

・身長:175cm

・体重:71kg

・血液型:B型

・所属:ジェイテクトSTINGS愛知

・背番号:8

・愛称:ゴリポン、セキタ、マサ

・ポジション:セッター

・利き腕:右

・指高:224cm/スパイク:324cm/ブロック:320cm

関田誠大選手の今後についてのSNSの声!

SNSでは、日本代表を引退を思いとどまってくれないかという声が多くあげられています。

試合を見ればわかりますが、それほど日本を背負うチームで関田選手は重要だということがわかります。

今後、日本代表で見れないのは淋しい気もしますが、ご家庭を第一に楽しい時間を過ごしていただきたいなとも思うところです!!

とは言っても、プレーヤーとしてはまだまだ応援はできるので、今後も応援し続けたいと思います!

コメント

タイトルとURLをコピーしました