先日試合を終えた、バレーボール男子日本代表。
とても印象深い試合となった気がします。試合についても今後書いていきたいと思っています。
そして今回は、前回の東京五輪と、よくボールを拾う姿や笑顔が印象的なリベロ。
今日書きたいのは、そんな日本代表の守護神、山本智大選手についてです。
バレー経歴や恋愛事情まで、筆者が気になったことを調べてみました!!!!
山本智大選手のスーパーリベロまでの人生とは?
北海道江別市出身の山本選手。
山本選手の幼少期『風船バレーに没頭の日々』
きっと産まれたときからバレーボールが家にあっただろう山本選手。
幼少期のころからバレーボールに夢中だったそう。
家では風船バレーをするのが日課だったそうで、お父様が『今の子どもたちがゲームを没頭するように、バレーボールに没頭していた』と話していたそうです。
山本選手の小学生『兄に憧れ、江別中央ガッツチームへ』
小学1年生の頃、2個上の兄(貴大さん)の影響で【江別中央ガッツチーム】という小バレに入ったそうです。
スーパーリベロの最初の憧れの選手はお兄さんだったんですね!お兄さんは今では地元で教員とバレー部の監督をしているそうです。
この時点でお兄さんに憧れて、お兄さんが好きで同じチームに入ったのかな?というのが用に想像できる、そんな仲のいい兄弟。
地元に帰った際はお兄さんの教えている中学に一緒に教えに行くんだとか…
その中学生たち羨ましすぎるやろぉ~!!!
山本選手の中学生『父が監督を務める学校へ転校、そしてポジション転向の決断』
最初こそ、地元の中学校に通っていましたが、お父様の指導を受けるために父が監督を務める中学校へ転校。
そこでアタッカー(OH・ライト)として力をつけていたが、中学3年生12月JOCジュニアオリンピックカップ(全国都道府県対抗中学バレーボール大会)で北海道選抜に選ばれたのを気にリベロに転向。
お父様から『さらに上を目指すにはレシーブ力を生かし、守りのスペシャリストに挑戦してみては』と背中を押され、
山本選手は『当時165cm位でこれから上で戦っていく上で、この身長では無理だと思ったので転向を決断したと、言っています。
中学生の時点でそんな先のことを見据えている時点で、プロになる人は違うんだなぁ~と感じます。
と、言っても当時の上は高校や大学のことで北海道で1位になれればいいなという感じだったみたいですが…
中学時代では小さいことから相手からよく狙われていたんだとか…それをお母様はすごく心配していたんだそうです。
そして、なんと言っても中学生といえば思春期。
そんな思春期に自分がアタッカーという、一見とっても輝くポジションからリベロという、一見裏方に回る決断。尊敬の一言につきます。
アタッカーからリベロに転向して、そんなにいきなりうまくいくのか?と思う方も多いと思います。
山本選手は『リベロというポジションができるのは父の基礎となる指導のおかげ』と話しています。
私も学生時代はセッター、大人になりママさんではアタッカーを努めていますが、正直勉強の毎日です。
オリンピックはもちろん、身近のうまい選手の動きをまねしてみたりしてほんの少しづつ成長していくのがやっとです。
山本選手はお父さんのお陰もあり、わたしより何倍もの早さでポジションをものにしたのかな?とは思いますが、ポジションの転向、そんなに簡単なものではないと思います。
山本選手の高校生『とわの森三愛高校、恩師に出会う』
数々の全国大会出場を導く山田和弘教諭が教える高校時代。やはり顧問は恩師だそうです。
私も現在でも恩師と言えるのは高校時代の顧問の先生です。
身も心もグッと大人に近づく高校時代。周りが気になり出す高校時代。一番精神的に弱く、そして強くなれる時代を支えてくださったのが山田先生なんだと思います。
もちろん山本選手がいる時代でも全国大会へ出場。
その後進学は考えていなかったようです。しかし、恩師に背中を押され進学という道を決めたようです。
山田先生、ありがとうううう!!
山本選手の大学生『日本体育大学、自信がつき先を見る世界が変わった』
名門校でなんと1年時からレギュラーをつかんだ山本選手。
大学リーグではリベロ賞を獲得したり、世代別の代表候補にも選ばれるようになり、「Vリーグでやれる」という自信がついてきたそうです。
この頃から、山本選手の見る先がVリーグや世界へと変わっていったのかな?と思います。
ところが、上級生になり同学年の選手たちがVリーグのチームから内定をもらい始めても、山本の元には誘いが届かなかったそうです。
そんな中、山本健之監督から面接に行くように言われたのが【FC東京】声がかかりホッとしたそうです。
山本選手の社会人17ー18年『FC東京、初めての挫折』
この時代は辛かったと、山本選手を調べるとどの記事にも書いてあります。
ではなせ辛かったのか???1つ目は、やはり仕事とバレーの両立が難しかったそうです。
今まで学業があるものの、バレー中心だった生活から一転。仕事をしなければならない。正直言って仕事のましてや1年目。大変ですよね。
私も社会人1年目は人に気を遣い、新しいことを覚え、怒られ毎日が刺激で一瞬だったのを覚えています。
そんな中、バレーボールも趣味ではなく競技として向き合う。想像以上に大変なことだと思います。
そして2つ目はリベロではあるあるかも知れませんが…Vリーグ1年目は先発出場の機会がほとんどなく、出番はレシーバーとしてセット途中に後衛の3ローテーションに入るのみ。
今までリベロといえど試合には出て、後衛は全て自分が守ってきた。が、試合に出れない悔しさ。
ココが一番辛かったと話しています。
「『ここまで、いい感じに成り上がってきたのに!』という感じでしたね。試合に出られないのは初めての経験でした。大学まではあまりにもうまくいきすぎていたので、初めての挫折。初めてバレーボールが楽しくないと感じた時期でした」
しかし、そんな辛い中でも必死に練習することだけはやめなかったようです。
辛いと人は諦めがちですが、そこで踏ん張る力。
きっとお父様や恩師、それぞれの支えてくださった方の教えがあったからこそなのかなと思います。
山本選手の2018ー23年『堺ブレイザーズ移籍、運がよかった』
移籍希望届を提出し移籍が決まった。
堺ブレイザーズで長年活躍したリベロの井上裕介が引退したタイミングだったこともあり、18-19シーズンのVリーグでは開幕からレギュラーをつかみ、2019年に日本代表に初選出された。
まさにどん底から、日本代表へ。1年で立ち位置が激変した。
その時のことをタイミングが良かった。運が良かった。と話しているそうですが、タイミングや運も実力あってこそだと思います!
辛かった時代でも練習をやめなかった努力が実を結んだのではないかと思います。
ちなみにですが2024年からは大阪ブルテオン(旧:パナソニックパンサーズ)に所属しています。
山本選手の日本代表『精神的に追い込まれた』
日本代表には経験豊富な古賀太一郎選手や、築城智選手がいたのもあり、当時日本代表を率いていた中垣内祐一監督から、「お前は3番手だから」と言われた。
そこで『くそっ!』という気持ちになって、頑張って絶対に試合に出ようと思った。と話しています。
山本選手本人はイラつかせてもらったほうが、燃えるタイプだと思うと話しています。
ネーションズリーグでアピールし、代表1年目にしてワールドカップで正リベロの座をつかんだ。
トントン拍子に成り上がった守護神は、2021年の東京五輪出場を果たす。
しかしその後、パリ五輪では有名でもある『小川派、山本派』
オリンピックにはリベロは1人しか連れて行けないとフィリップ・ブラン監督から告げられ、現時点で世界一にいる2人と言われているのにもかかわらず、その2人が戦わなければならない。
そんなプレッシャーや緊張で押しつぶされたようです。
そんな中、見たくもないSNSのアンチ。自分のプレーが出来ないと言っていたそうです。
結果は見ての通り、山本選手が選ばれましたが、その際に小川選手が号泣していたそうです。
そんな小川選手のことを、山本選手は『一番にメダルを渡したい盟友』と言っています。
日本代表になったからと言って簡単ではないことが文字だけで伝わります。
パリ五輪が終わって引退
パリ五輪が終わり、ブラン監督の引退、西田選手の代表休憩、髙橋健太郎選手、山内選手が代表引退を匂わせるなど、数々の選手が表明してるなか、山本選手は現在まだ、そのような表明はありません。
30歳前後で引退するのが多いアスリート。
現在29歳なので、いろいろ今後を考える歳だとは思います。
4年後は33歳…。あったとしても次のロス五輪が代表としては最後という可能性は多いと思います。
山本智大選手の家族構成
文中にも出てきていますが、山本選手は父、母、兄の4人家族です。
また、中学で父に教わりに行く事や、現在地元に帰った際に兄が監督しているところへ一緒に行くなど、家族仲睦まじいことがわかります。
父親はバレーボール選手として全国大会を優勝して、指導者に。中学教員兼バレー部顧問。
母親もバレープレーヤーで、父親ほどの経歴はないですが、ママさんバレーをしているそう。
兄は冒頭でも話していますが、現在、山本選手の母校恵庭中学校にて教員、バレー部顧問を務めています。
お兄さんももちろんバレープレーヤーとしてとても優秀な選手です。
大学時代では、秋季リーグの1部で優勝、セッター賞も受賞されています。大学卒業後社会人チームでバレーは続けていたようですが、プロにはならなかったようです。
父親が指導者と…筆者のわたしと同じ境遇だとは…(笑)
山本智大選手のプロフィール
生まれ:1994年11月5日(2024年8月現在29歳)
身長:171cm
体重:69kg
血液型:B型
所属:大阪ブルテオン(旧パナソニックパンサーズ)
愛称:トモ
ポジション:リベロ
指高:220cm
スパイク:299cm
ブロック:280cm
山本智大選手の今後の活躍に期待!
今回パリ五輪では悔しい成績に終わったものの、バレーボール選手として引退するわけでもありませんし、今回をバネにまた活躍してほしいです。
お忙しいとは思いますが、プライベートも山本選手の明るさやポジティブで楽しみ、よりよい人生を歩んでほしいなと思います。
山本選手をもっと知りたい方は是非こちらも呼んでみてください!!
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